
大葉沢城跡(おおばざわじょうあと)は新潟県の指定史跡。村上市の大場沢集落に所在し、西の宮山(標高86m)と東の寺山(標高94m)からなる山城です。
宮山には雷(いかづち)神社、寺山には大葉山 普済寺(だいようざん ふさいじ)があり、遊歩道でぐるりと巡ることができます。普済寺には村上出身の名工・有磯 周斎(ありいそ しゅうさい)が描いたとされる12枚の天井絵があります。

有磯周斎の天井絵 は特にお勧めですよ!
その1:西の宮山、雷神社へ

雷神社は、源義綱(みなもとのよしつな)が出羽国の賊を征伐する際、山城国の賀茂別雷神社(上賀茂神社)から御分霊を勧請して創祀されたと伝わっています。

今回のルート案内。宮山側から坂道を上ります。大葉沢城跡の西側ルートです。

一の鳥居から少し戻ったところにあるスタート地点の写真。左側の茂みに埋もれるように「雷神社→」の案内板が見えます。

一の鳥居のアップ。

石灯籠の間を抜け、奥へ続く参道。

上りながら左に曲がる参道。右手に祠があります。

二の鳥居前。奥に社殿が見えます。

社殿の周りには保護のための仮囲いが設置されていました。

社殿正面。「雷公宮」の扁額。
その2:東の寺山、大葉山 普済寺へ

普済寺の創建は大永7年(1527年)、同じく村上市にある曹洞宗の古刹・耕雲寺の第8世固剛宗厳(こごうそうごん)和尚により開かれました。開基は大葉沢城主・鮎川清長(あゆかわきよなが)公です。

「大葉沢城主 鮎川清長公開基 曹洞宗 普済寺 入口」の看板と、大葉沢城跡一帯の案内板。

普済寺の参道に置かれた「鳴海金山 金鉱石」。隣には平成7年(1995年)銘の「鳴海金山懐古仰欽碑」が並んでいます。

普済寺の参道。

普済寺の参道右の斜面。

普済寺の蓬莱滝。奥に見える建物は工事中のようでした。

普済寺の参道石段。

普済寺の本堂前からの眺望。

普済寺の本堂入口。
その3:寺山から宮山への遊歩道(山道寄り)

本堂内に参観する前に、普済寺のある寺山側から、雷神社のある宮山方向への遊歩道(山道寄り)をご紹介します。

普済寺から雷神社へ、大葉沢城跡の西側ルートです。

ここから少し右手に寄り道します。

聯芳塔の正面。背後に見える丸石は、普済寺に伝わる「頭石(あたまいし)」で、歴代住職の墓石だそうです。

寺山を上まで登ったところ。ここからは尾根伝いに進みます。

本丸跡、畝形阻塞(うねがたそさい)、雷神社方向へ続く道。

堀跡。一旦下って、また登ります。

畝形阻塞の案内板。「掘った土を掻き揚げて構築した縦長の土塁状の防御施設です。」「敵の進路を制限し、一列縦隊を強いることで、城の守り手が攻撃を敵の先頭に集中させやすくする」

雷神社の裏手。見上げると急斜面の上に社殿の屋根が見えます。このまま進むと雷神社の二の鳥居前に出ます。
その4:大葉山 普済寺の本堂内、有磯周斎の天井絵

普済寺は安政3年(1856年)に火災に遭い、文久3年(1863年)に現在の本堂が再建されました。本堂の天井絵12枚(龍・鳳凰・麒麟・獅子など)は名工・有磯周斎(ありいそ しゅうさい)が描いたとされています。
有磯周斎(1805年~1879年)は、村上・大工町の出身。江戸で彫刻を学び、堆朱・堆黒など漆の技法も修め、村上木彫堆朱の基礎を築いたとされる人物です。

本堂入口に掲げられた「普済寺」の扁額。

天井絵の解説板。有磯周斎の紹介も。

本堂内。立派な須弥壇(しゅみだん)。

須弥壇と天井絵の一部。












天井絵12枚を一枚ずつ撮影。天井内の位置関係はそのままに、向きは見やすいよう調整してあります。
参考リンク
Instagram投稿日:2025-10-30(その2部分)
10-31(その3部分)
11-01(その1部分)
11-02(その4部分)

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