
堆朱(ついしゅ)とは、朱色の漆や彫りを特徴とする漆工芸の一つです。ただし、ひと口に堆朱といっても、中国の彫漆としての堆朱、日本国内で発展した堆朱、木地に彫刻を施して漆を塗り重ねる村上木彫堆朱では、技法や成り立ちに違いがあります。
このページでは、堆朱の意味や歴史、日本国内で「堆朱」と呼ばれる工芸の違いを整理したうえで、新潟県村上市で受け継がれてきた漆工芸「村上木彫堆朱」について、歴史と公的な位置づけ、制作工程、6つの技法、文様と地紋、使い方やお手入れまで、初めての方にも分かりやすく紹介します。
English version: Murakami Kibori Tsuishu: Wood-Carved Lacquerware from Murakami, Niigata, Japan
目次
●堆朱とは
●村上木彫堆朱とは
●村上木彫堆朱の歴史と公的指定
●村上木彫堆朱の制作工程
●村上木彫堆朱の6つの技法
●村上木彫堆朱の文様と地紋
●村上木彫堆朱の使い方とお手入れ
●村上木彫堆朱を見られる場所
●よくある質問
●まとめ
●参考リンク
堆朱とは
堆朱(ついしゅ)とは、漆工芸における技法や作品を指す言葉の一つです。
もともとは、朱色の漆を何層にも塗り重ねて厚みを作り、その漆の層に文様を彫り出す彫漆(ちょうしつ)の一種として知られています。「堆」は積み重ねること、「朱」は赤い色を表します。つまり堆朱とは、朱漆を幾重にも重ね、その重なりを生かして文様を表す工芸といえます。
堆朱の発祥と歴史
堆朱は、中国の漆工芸の中で発展した彫漆技法の一つです。
中国の漆工芸は非常に古い歴史を持ち、器物を保護するための塗り物としてだけでなく、装飾性の高い工芸としても発展してきました。漆を塗る、描く、貝をはめ込む、金を用いる、そして漆そのものを彫るなど、さまざまな技法が生まれています。
その中で、漆を厚く塗り重ね、固まった漆の層を彫って文様を表す技法が彫漆です。朱色の漆を重ねて彫るものを堆朱、黒漆を重ねて彫るものを堆黒(ついこく)、黄色の漆を用いるものを堆黄(ついおう)などと呼びます。
堆朱では、何度も塗り重ねた朱漆の層に、花鳥、龍、鳳凰、人物、山水などの文様を彫り出します。漆を重ねる長い工程と、硬くなった漆層を彫る高度な技術を必要とするため、鑑賞性の高い美術工芸品として発展してきました。
中国では宋・元の時代に彫漆が盛んになり、元時代には重厚な漆層に力強い文様を彫る作品が作られました。日本には、こうした中国の彫漆が中世に伝わり、堆朱や堆黒として珍重されました。
特に鎌倉時代には、禅宗文化とともに中国の彫漆がもたらされ、香盆や香合など、寺院で用いられる道具として大切にされました。その後、日本でも彫漆や堆朱の技法が受け入れられ、各地の木工、漆塗り、彫刻技術と結びつきながら、独自の漆工芸へ展開していきます。
世界の中で見た堆朱
世界の工芸史の中で見ると、堆朱は中国漆器を代表する高度な装飾技法の一つとして位置づけられます。
漆の文化は、中国、日本、朝鮮半島など、東アジアを中心に育まれてきました。漆は器物を守るための素材であると同時に、光沢、色、耐久性、装飾性を兼ね備えた工芸素材でもあります。
その中でも堆朱は、塗り重ねた漆そのものを彫る点に特徴があります。木や金属の表面に絵を描くのではなく、漆を何層にも重ねて厚みを作り、その層を彫って文様を表すため、材料、時間、技術のすべてを要する工芸です。
欧米の美術館や研究では、中国の堆朱は “Chinese carved lacquer” や “cinnabar lacquer” として紹介されることがあります。直訳すれば「中国の彫漆」「辰砂色の漆器」に近い表現で、朱色の漆を主とする中国の彫漆を指す文脈で使われています。
つまり堆朱は、日本語の工芸用語であると同時に、世界の美術館では中国漆器の代表的な彫刻的技法として扱われる工芸でもあります。中国の堆朱作品は、器や盆、箱、香合などの形で伝わり、花や鳥、龍、鳳凰、人物、山水などの文様を通じて、中国美術の意匠や時代ごとの美意識を伝えています。
一方で、日本では、中国から伝わった堆朱・彫漆をそのまま受け入れるだけでなく、各地の素材や技術に合わせて変化させてきました。厚く重ねた漆層を彫る彫漆系の堆朱だけでなく、木地に先に彫刻を施し、その上から朱漆を塗り重ねる木彫系の堆朱も生まれました。
このように、世界の中で見た堆朱は、中国漆器を代表する高度な彫漆技法であり、日本ではその影響を受けながら、地域ごとに異なる形へ展開してきた工芸といえます。
日本国内で「堆朱」と呼ばれる工芸
日本にも、中国の漆工芸や彫漆の影響を受けながら、各地で独自の漆器文化が育ちました。
ここで注意したいのは、日本で「堆朱」と呼ばれる工芸のすべてが、中国の堆朱と同じように、厚く塗り重ねた漆の層そのものを彫るわけではない、という点です。
日本国内で堆朱と呼ばれるものは、理解のために大きく分けると、いくつかの系統に便宜的に整理できます。
一つ目は、漆を厚く塗り重ね、その漆層を彫って文様を表す彫漆系の堆朱です。中国の堆朱に近い考え方で、漆そのものの層を彫ることに重きがあります。
二つ目は、木地に先に文様を彫刻し、その上から朱色の漆を塗り重ねて仕上げる木彫系の堆朱です。新潟県村上市で受け継がれてきた村上木彫堆朱は、この系統にあたります。厚く重ねた漆層を彫るのではなく、木地の彫刻と漆塗りを組み合わせて仕上げる点に特徴があります。
三つ目は、産地や用途に応じて技法を変化させた堆朱です。たとえば仙台堆朱は、村上堆朱の技術を背景にしながら、型押しによる工法などを取り入れて発展した工芸として知られています。
このように、国内で「堆朱」と呼ばれる工芸には、漆層を彫るもの、木地を彫ってから漆を塗るもの、産地ごとに独自の方法へ展開したものがあります。名前は同じ堆朱でも、作り方や見た目、質感には違いがあります。
ただし、これらを外観だけで正確に見分けるのは簡単ではありません。塗り上がった漆器では、漆の層を彫っているのか、木地を彫ってから漆を塗っているのかが、表面だけでは分かりにくい場合があります。
そのため、種類や産地を知りたいときは、見た目だけで判断するのではなく、作品名、産地名、箱書き、説明書き、購入元の情報を確認することが大切です。真贋や価値の判断が必要な場合は、専門店、産地の組合、鑑定に詳しい事業者などに確認するのが安全です。
このページでは、堆朱全般の意味や歴史、国内での種類を整理したうえで、新潟県村上市で受け継がれてきた村上木彫堆朱を中心に紹介します。
村上木彫堆朱とは
村上木彫堆朱(むらかみきぼりついしゅ)は、新潟県村上市で受け継がれてきた漆工芸です。「村上堆朱(むらかみついしゅ)」という呼称も広く用いられ、歴史資料や文化財制度ではこの名称が用いられてきました。
村上木彫堆朱は、代表的な技法である堆朱だけを指す名称ではありません。 現在では、堆朱・堆黒・朱溜塗・色漆塗・金磨塗・三彩彫の6種類の技法を含む村上の漆工芸を表す名称として用いられています。
村上の堆朱・堆黒は、江戸時代に村上藩士が江戸で学んだ技法が城下に伝えられたことを一つの起点として発展したと伝えられています。その後、村上の職人たちによって木彫と漆塗りを組み合わせた独自の技法が磨かれ、近代には地域を代表する漆工芸として定着していきました。
その技術的・文化的価値は、文化財としても評価されてきました。1955年(昭和30年)には「村上堆朱」として新潟県の無形文化財に指定され、同年には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」にも選択されています。さらに、文化財制度とは別に、1976年(昭和51年)には「村上木彫堆朱」の名称で国の伝統的工芸品に指定されました。
村上木彫堆朱の大きな特徴は、木地に先に文様を彫刻し、その彫りを生かすように天然漆を塗り重ねて仕上げることです。
「堆朱」という言葉は、本来、中国で発達した、漆を何層にも厚く塗り重ね、その漆の層そのものを彫刻する技法を指します。一方、村上の木彫堆朱では、先に木地を彫刻し、その上から漆を塗ります。見た目には堆朱に通じる彫刻的な表現を持ちながら、構造と制作方法は異なります。
こうして生まれる、木彫による立体感と漆の落ち着いた色合いや質感が一体となった表現が、村上木彫堆朱の大きな特色です。
完成直後は落ち着いた艶消しの表情を見せ、長く使うことで自然な艶が生まれ、色合いにも深みが増していきます。こうした使いながら表情が変化していくことも、村上木彫堆朱の特徴です。
盆や器、茶道具、箸、装身具などさまざまな品が作られており、彫刻と漆芸を鑑賞する工芸品であると同時に、日常生活の中で使われてきた漆器でもあります。

村上木彫堆朱の歴史と公的指定
村上木彫堆朱の歴史概観
村上市とその周辺では、古くから漆が育ち、その漆を利用する文化がありました。縄文時代の遺跡から漆製品が出土しているほか、平安時代の越後国では漆が産物として扱われていたことを示す記録も残されています。
その後、室町時代には寺院建築などを通じて木工や彫刻に携わる工匠の技術が高まり、江戸時代に入ると寺院建築の展開や村上藩による工芸の奨励などを背景に、木工・彫刻・漆工の技術的、産業的な基盤が蓄積されていきました。
こうした地域の技術的な土壌の上に、江戸時代には村上藩士が江戸で学んだ堆朱・堆黒の技法が城下へ伝えられたとされます。村上の職人たちは、その技法をそのまま受け継ぐだけでなく、木地に彫刻を施してから漆を塗る独自の方法へと発展させ、近代には村上を代表する工芸として定着させていきました。
その技術的・文化的価値は近代以降も評価され、1955年(昭和30年)には「村上堆朱」として新潟県の無形文化財に指定され、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」にも選択されました。さらに1976年(昭和51年)には、「村上木彫堆朱」の名称で国の伝統的工芸品に指定されています。
以下では、村上地域における漆利用の古い歴史から、木工・彫刻・漆工の技術の蓄積、堆朱・堆黒の技法の伝来と発展、そして現在につながる村上木彫堆朱の成立までを、時代を追って見ていきます。
村上地域と漆の古い関わり
村上地域と漆との関わりは、村上木彫堆朱が成立するよりはるか以前までさかのぼります。
現在の村上市三面に所在した元屋敷遺跡では、縄文時代後期から晩期を主とする出土品の中から、漆塗木製品の残欠2点が確認されています。これらを含む出土品1,718点は、平成27年(2015年)に国の重要文化財に指定されました。
また、村上市に隣接する胎内市の分谷地A遺跡では、縄文時代後期の漆製品35点が確認され、その中には赤や黒の漆を施した木製容器なども含まれています。このうち21点は新潟県の有形文化財に指定されています。
元屋敷遺跡や分谷地A遺跡の出土品からは、村上周辺を含む新潟県北部で、縄文時代にすでに漆を用いた木製品が作られていたことが確認できます。
平安時代になると、律令の施行細則である「式」を集大成した法典『延喜式』(延喜5年(905年)に編纂が始まり、延長5年(927年)に完成)に、越後国と漆との関係を示す記録が現れます。
『延喜式』の巻24「主計寮上」の越後国条には、中男作物(律令制下の租税の一種)として「漆」が記されています。これは、当時の越後国が漆を中央へ貢納する地域の一つであったことを示す記録です。
また、現在の村上市蒲萄には、『延喜式』に記載された式内社である漆山神社があります。村上市公式サイトに掲載されている『朝日村史』は、漆山神社の社名などから、この一帯が約1000年前から漆液産地の中心であったとしています。
これらは現在の村上木彫堆朱そのものの起源を示すものではありませんが、村上地域と漆との関わりが古くから存在したことを示しています。
参考リンク:むらかみの観光情報|漆山神社
室町時代|村上の漆工技術の源流
村上の漆工技術の発達には、古くから盛んだった寺院建築が深く関わっていたと考えられています。
明治41年(1908年)に服部春次がまとめた『村上漆器沿革誌』(以下、「服部資料」)では、村上の漆器工芸の沿革を説明するにあたり、建築から彫刻が生まれ、彫刻から漆工へと技術が広がっていったという見方を示しています。また、かつて村上には優れた工匠が多く、近隣では「村上大工」という呼び名が賞賛の言葉として使われていたとし、多くの寺院が造営されたことが、工匠の技術を磨く土壌になったとしています。
現在の村上市門前にある耕雲寺は応永元年(1394年)に開創され、現在の龍皐院も文安3年(1446年)にその起源を持つとされています。服部は、当時の工匠や漆工の見立てとして、これらの寺院の建築・彫刻・髹漆(きゅうしつ)には京都風の特徴が残されていると紹介しています。
そのうえで、こうした見立てが正しければ、当時、京都から工匠や漆工が村上を訪れて寺院建築に携わり、それが村上における彫刻や漆工技術の発達を促したのではないかと推定しています。
その後、天文年間(1532~1555年)頃になると、村上を中心に寺院の建立が盛んになったと記されています。こうした継続的な寺院造営を通じて、木工・彫刻・漆工に携わる工匠の技術が地域に蓄積され、後の村上漆器発展の土台になったと考えられています。
関連記事:村上市門前の古刹・霊樹山 耕雲寺へ|歴史と静けさが残る禅寺をたずねて
江戸時代前期・中期|漆産業と工芸技術の発展
戦国末期から江戸時代前期にかけても、村上では寺院の建立や城下の整備が続きました。
服部資料では、特に村上頼勝の時代に寺院の建立が最も頻繁であったとし、短い場合は1年、長くても6年ほどの間隔で寺院が建立され、在城約20年間に「一院七寺」が建立されたと記しています。こうした継続的な建築事業は、村上の木工・彫刻・漆工の技術をさらに磨く機会になったと考えられています。
元和4年(1618年)に堀直寄が村上藩主となると、城郭の増築や城下の整備が進められ、家臣の屋敷なども建設されました。その後の寛文年間には、城郭や武家屋敷の増築に際して、京都から木匠・伊太郎ほか4人を招いたと服部は記しています。ただし、服部資料には「一説、東都」とあり、江戸から招いたとする異説も併記されています。
さらに寛文2年(1662年)の羽黒神社再建では、京都から漆工を招き、神輿の髹漆にあたらせたとされています。
寛文7年(1667年)に榊原政倫が村上藩主となると、藩士の荒山市右衛門を漆奉行に任じ、永島市二郎ら10人を配して領内で漆樹の栽培を進め、工芸を奨励したと記されています。
この時期には、漆工の中山五右衛門や山中佐吉、彫工の山脇杢兵衛などが活動しており、原料となる漆の生産と、木工・彫刻・漆工の技術が並行して発展していきました。
享保5年(1720年)には内藤弌信が村上藩主となり、以後、内藤家による約150年間の藩政が始まります。
服部資料では、弌信は工芸をさらに奨励し、作事係や山林係を通じて領内の漆樹をさらに増殖させ、そのために貢税を免じたとしています。
享保年間から延享・寛政年間にかけては、山脇杢兵衛、板垣伊兵衛、稲垣八郎治らの彫工や、山中佐七、石田善七らの漆工が活動したことも記録されています。
このように、寺院や城郭、武家屋敷などの造営が続く一方で、藩による漆樹栽培と工芸の奨励が進み、村上には木工・彫刻・漆工の技術が蓄積されていきました。こうした技術的・産業的な基盤の上に、江戸時代後期になると、現在につながる村上の木彫堆朱・堆黒が形成されていきます。
江戸時代後期|現在につながる村上堆朱の形成・発展
江戸時代後期になると、それまで村上に蓄積されてきた木工・彫刻・漆工の技術に、江戸で学ばれた堆朱・堆黒の技法が加わり、現在につながる木彫堆朱・堆黒が形成されていったとされています。
服部資料は、その技術の伝来について二つの説を記録しています。
一つは、文政年間(1818~1830年)、江戸詰の村上藩士・頓宮次郎兵衛が、江戸で東谷という、堆朱楊成(ついしゅようぜい)の門弟ではないかとされる人物から堆朱・堆黒の技を学び、続いて同じく村上藩士の沢村吉四郎もその技を学んだとするものです。
なお、後世の資料にはこの「東谷」を玉楮象谷とする記述もありますが、服部資料の記述は「東谷」であり、両者が同一人物であることはここでは確認できません。
もう一つは、江戸詰の村上藩士・頓宮源兵衛が、習得先は不明ながら木彫堆朱・堆黒を製作しており、天保年間(1830~1844年)に沢村吉四郎がその作品を模倣して技術を身につけたとする説です。
伝来の経緯にはこうした異説がありますが、服部資料では、沢村吉四郎から久永老松軒や岩付太郎左衛門らも技を学び、木彫堆朱・堆黒が江戸詰の村上藩士の間で広まったとしています。
当初は藩士の公務の余技、いわば趣味的な工芸でしたが、文政年間以後、江戸から帰国した藩士を通じて村上城下にも伝わり、城下の工匠たちが本業のかたわら技を学ぶようになりました。当時、城下ではこれを「模造堆朱・堆黒」と呼んでいたと記されています。
この頃、三条の画工・五十嵐華亭が藩主の命によって村上に長く滞在し、その画風が彫刻の意匠にも影響を与え、木彫堆朱・堆黒の図案にも取り入れられるようになったとされています。技法だけでなく、意匠の面でも新たな要素が加えられていきました。
こうした発展の中で大きな役割を果たしたのが、板垣周左衛門、のちの有磯周斎(ありいそしゅうさい)です。服部資料によれば、周左衛門は文化2年(1805年)に生まれ、文政12年(1829年)に伊勢参詣を兼ねて京都、大坂、大和、四国などを巡った後に江戸へ赴き、東谷の門に入って約半年間技を学びました。帰国後は、徒弟を助手として木彫堆朱・堆黒の制作に取り組み、茶器や文房具などを製作・販売しました。服部は、周左衛門について、村上の木彫堆朱・堆黒に新たな技法を加え、「今日ある基礎を定めた」人物として位置づけています。
塗りの技術にも改良が加えられました。服部資料では、天保年間に漆工・矢部覚平が、木彫面を指先で塗る方法を考案したとしています。
また、村上の木彫堆朱・堆黒が発展するにつれて、有磯周斎は新潟、三条、米沢、庄内などへ自ら作品を持って販売し、販路の開拓にも取り組みました。需要が広がるにつれて徒弟の養成や彫刻・髹漆の分業も進んだとされています。
慶応年間(1865~1868年)には、仏壇や仏具にも木彫堆朱・堆黒を施すようになり、服部資料では、これによって「村上特産」として評価されるようになったと記されています。また、桂川在三は木彫堆朱・堆黒に鎌倉彫を取り入れて新たな表現を生み出すなど、幕末まで技法の改良が続けられました。
このように、江戸詰藩士の間で行われていた木彫堆朱・堆黒は、江戸時代後期に村上城下へ伝わり、地域にすでに存在した木工・彫刻・漆工の技術と結びつきながら改良され、幕末までに村上を代表する工芸へと発展していきました。
関連記事|村上の地に残る有磯周斎の作品
・おしゃぎり:上町のしゃぎり屋台、嘉永3年(1850年)制作
・彫刻:藤基神社拝殿の彫刻
・天井絵:普済寺本堂の天井絵
明治・大正時代|生業化・販路拡大と村上堆朱の全盛期
明治維新は、発展しつつあった村上の木彫堆朱・堆黒にも大きな影響を与えました。
服部資料では、戊辰戦争などの混乱によって制作が一時停滞し、維新後もしばらくは顧客が少なく、存続が危ぶまれる状況にあったと記されています。しかし、次第に顧客と販路を取り戻し、廃藩によって自活の必要に迫られた旧村上藩士の中には、それまで余技として行っていた木彫堆朱・堆黒を生業とする者も現れました。
服部資料によると、明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会では、初代有磯周斎をはじめ村上の工匠たちが椅子、茶棚、筆筒などを出品し、それぞれ賞を受けました。また、明治11年(1878年)には新潟の商家から大型の仏壇を受注するなど、木彫堆朱・堆黒の用途や需要も広がっていきました。こうした展覧会への出品や大型製品の制作を通じて、村上の漆器は地域外でも評価を得るようになります。
需要の増加に伴って製作者が増える一方、服部は粗製濫造の品が市場に現れるようになったとも記しています。こうした状況を背景に、明治26年(1893年)4月には村上工芸会が組織され、製作者の統一、技術の向上、販路の拡張が図られました。同じ頃には米国で開かれた世界博覧会への出品を通じて海外市場への展開も試みられ、その後も国内各地の博覧会、共進会、競技会などへの出品が続きました。
技術や意匠の面でも発展が続きました。二代周斎(幸三郎、初代有磯周斎の養子)の子・周太郎(有磯周亭)は東京で日本画家・瀧和亭に学び、その画風を村上堆朱の意匠に取り入れました。
このように明治から大正にかけて、村上の木彫堆朱・堆黒は、江戸時代までの藩士の余技から職業としての工芸へと移行し、製作者の組織化や技術・意匠の改良、国内外への販路拡大が進みました。また、この時期には山脇長平、山脇三作、有磯周亭の門下から多くの作家が育ち、制作の層も厚くなり、村上堆朱は地域を代表する工芸として全盛期を迎えました。
昭和初期|伝統の継承と新しい表現
昭和に入っても、村上の堆朱・堆黒では、伝統的な技術を継承しながら、新しい意匠や表現を取り入れようとする試みが続きました。
昭和5年(1930年)秋には、村上工芸会と村上木工組合の連合主催による漆器競技会が郡産業館で開かれました。昭和10年(1935年)に佐藤榮喜がまとめた「村上町の堆朱堆黑の調査」では、小規模な競技会ながら、従来の意匠にとどまらず、時代の動きに応じた創作的な作品が出品され、伝統的な村上らしさを残しながら、彫刻・髹漆の双方に新しい表現が現れていたと評価しています。
こうした動きを代表する人物の一人が小野為郎です。佐藤の調査では、小野が版画の研究に取り組み、その成果を堆朱・堆黒の彫刻や髹漆に生かして「一新生面」を開こうとし、創作的な作品を生み出していたことが記されています。伝統的な技法を受け継ぐだけでなく、他の美術表現を取り入れながら、新しい村上の漆器を生み出そうとする動きが昭和前期にはすでに見られました。
また、昭和9年(1934年)末の村上町では、漆器は主要な工産物の一つで、生産額では第4位を占めていました。佐藤は、村上の漆器が国内だけでなく輸出品としても評価され、需要と販路の拡大に伴って事業者が増え、彫刻と髹漆の分業も一層進んでいたと報告しています。
一方、原料となる漆を取り巻く環境には変化が生じていました。佐藤は、明治以降、村上地方の漆樹が次第に減少したとし、その主な原因の一つとして安価な中国産漆の流入を挙げています。それでも昭和8年(1933年)の統計では、岩船郡は新潟県内で漆液の生産量、採取者数ともに多い地域であったとされています。
このように、昭和初期、村上の漆器は、地域産業としての基盤を維持しながら、小野為郎らによって新しい意匠や表現も模索されていました。伝統を継承しつつ、時代に応じて表現を更新していく動きが続いていた時期といえます。
関連記事:小野為郎の作とされる三彩彫の器局(ききょく)や重箱
昭和30年|新潟県の無形文化財「村上堆朱」に指定
昭和30年(1955年)2月9日、村上の漆工技術は、「村上堆朱」の名称で新潟県の無形文化財に指定されました。
この指定は、新潟県文化財保護条例に基づき、新潟県教育委員会が行ったものです。昭和30年2月9日付の新潟県教育委員会告示第7号には、無形文化財のうち工芸技術として「村上堆朱」、所在地を村上市、関係団体を村上堆朱振興会として記載しています。
ここで重要なのは、文化財としての指定名称が、現在広く使われている「村上木彫堆朱」ではなく、「村上堆朱」であることです。また、個々の漆器製品が文化財として指定されたのではなく、長く受け継がれてきた工芸技術そのものが無形文化財として位置づけられたものです。
江戸時代から改良を重ね、明治・大正期に全盛期を迎え、昭和前期にも新しい表現が模索されてきた村上の漆工技術が、この指定によって新潟県の文化財として位置づけられました。
昭和30年|国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択
新潟県の無形文化財指定から約1か月後の昭和30年(1955年)3月19日、「村上堆朱」は、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されました。国指定文化財等データベースにおける記録は、種別が「工芸技術」、分野が「漆芸」です。
この制度は、文化財保護法に基づき、重要無形文化財として指定するものとは別に、記録の作成・保存・公開などの措置を講ずる必要がある無形文化財を選択するものです。当時の工芸技術に関する選択基準(文化財保護委員会告示第56号。昭和29年)では、陶芸、染織、漆芸、金工などのうち、「我が国の工芸技術の変遷の過程を知る上に貴重なもの」が対象とされていました。
この選択を行ったのは、当時文化財行政を担当していた文化財保護委員会です。現在の文化庁はまだ設置されておらず、昭和30年当時の選択は文化財保護委員会の制度のもとで行われていました。
国指定文化財等データベースには、この選択に関係する技芸者として、塗漆の板垣孝一(板垣臥石)と、その実弟である彫刻の鈴木孝吉(鈴木秋湖)が記録されています。解説では両者の技術を「村上堆朱の双壁」と位置づけ、木地の彫刻、指先を用いた塗漆、毛彫り、摺り込みなど、村上堆朱の制作技術についても具体的に説明・記録されています。
この国による選択も、同年2月の新潟県指定と同様、名称は「村上木彫堆朱」ではなく「村上堆朱」です。昭和30年には、村上で受け継がれてきた漆工技術が、県の文化財として指定されるとともに、国からも日本の工芸技術の変遷を知る上で貴重な技術として位置づけられたことになります。
参考リンク:国指定文化財等データベース|村上堆朱
昭和51年|「村上木彫堆朱」として国の伝統的工芸品に指定
昭和51年(1976年)2月26日、村上の漆器は、「村上木彫堆朱」の名称で国の伝統的工芸品に指定されました。この指定は、文化財保護法による文化財指定ではなく、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づくもので、当時の通商産業大臣によって行われました。
伝統的工芸品の指定では、品目名だけでなく、その工芸品を特徴づける伝統的な技術・技法、原材料、主要製造地域などが指定内容として定められます。
村上木彫堆朱では、技術・技法として、木彫堆朱、木彫堆黒、木彫朱溜塗、木彫色漆塗、木彫金磨塗、三彩彫の6種が示されています。木彫を施す技法では、「引下げ彫り」や「肉合い彫り(ししあいぼり)」、指の腹やたんぽを使った「たたき塗」、塗り上げ、艶消し、すり漆など、指定上の伝統的な彫刻と髹漆の方法が具体的に定められています。一方、三彩彫は色漆を重ねた後に「むき彫り」を行い、漆の層を彫り分けて文様を表す技法です。
原材料についても、漆は天然漆を使用し、木地にはホオノキ、トチノキ、カツラ、またはこれらと同等の材質を持つ用材を用いることが定められています。主要製造地域は新潟県村上市です。
また、名称の違いも明確になります。昭和30年(1955年)の新潟県無形文化財指定と国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」への選択では、いずれも名称は「村上堆朱」でしたが、昭和51年の伝統的工芸品指定では、工芸品名を「村上木彫堆朱」とし、その指定内容の中に6種の技術・技法が定められています。
この指定によって、村上で受け継がれてきた漆器は、単に名称だけでなく、その技術・技法、原材料、生産地域を含む伝統産業の体系として、また、地域の伝統産業として継承し、振興していくべき工芸品として、国の制度上位置づけられたことになります。
伝統証紙が付いた品は、産地組合などの検査に合格した伝統的工芸品です。
関連記事:要注意!「伝統工芸品」と「伝統的工芸品」は同じではありません
現在の村上木彫堆朱|継承と新たな展開
1976年(昭和51年)に国の伝統的工芸品に指定された村上木彫堆朱は、現在も村上市で制作が続けられています。2026年(令和8年)は、伝統的工芸品の指定から50年という節目の年にあたります。
現在も、盆や菓子器、茶道具など従来からの漆器が作られる一方で、食器や文具、アクセサリーなど、現代の生活に取り入れやすい品にも展開されています。村上堆朱事業協同組合では、現代のクリエイターとの協働による「朱器」や、長岡造形大学の学生との協働から生まれた「KOITTEN」など、従来の枠にとどまらない商品づくりも行われています。
一方で、産地を取り巻く環境は決して安定しているわけではありません。生活様式の変化による需要の減少や後継者不足によって、技術・技法の継承が課題となっています。そのため、技術の習得や商品研究、情報発信などを担う地域おこし協力隊の募集など、次世代へつなぐための取り組みも進められています。
また、村上木彫堆朱を地域の中だけにとどめず、国内外へ発信する動きも続いています。2025年には村上木彫堆朱の未来をテーマとしたフォーラムが開かれ、2026年には北前船ゆかりの地域との連携を通じて、ミラノデザインウィークでも作品が紹介されました。こうした取り組みでは、伝統的な技術を守るだけでなく、新たな用途やデザイン、販路を探ることも重視されています。
村上木彫堆朱は、完成された過去の工芸ではなく、受け継がれてきた技術を基礎にしながら、現在も新しい形を模索している地域の工芸です。 伝統をどのように次の世代へ伝え、現代の暮らしの中で使われるものとして残していくかが、現在の村上木彫堆朱にとって大きなテーマとなっています。
参考リンク:村上堆朱事業協同組合公式サイト
村上木彫堆朱の制作工程
村上木彫堆朱は、木地師・彫師・塗師の分業によって作られます。木地に彫刻を施し、その彫りを生かしたまま漆を重ねていくことが、この工芸の核心です。計19の工程がありますが、ここでは木地づくり、彫刻、下地づくり、塗り、研ぎ、仕上の6工程に分類し紹介します。
木地をつくる
まず、朴(ほお)・栃(とち)・桂(かつら)などの天然木を十分に乾燥させ、花びんや盆、すずり箱などの土台となる木地を作ります。最初の形づくりが、その後の彫りや塗りの美しさを左右します。
下絵を描き、彫刻する
木地ができると、表面に花鳥、山水、牡丹唐草などの下絵を描き、裏白(うらじろ)と呼ばれる彫刻刀で木地を彫り進めていきます。平面的な彫りと立体感のある彫りを使い分けながら、村上木彫堆朱ならではの繊細な表情をつくります。
刀痕を整え、下地をつくる
彫り終えた木地は、そのまま塗りに入るのではなく、まず刀痕の粗さを整えます。古くは木賊(とくさ)を使い、現在はサンドペーパーなども用いて彫刻に丸みと柔らかさを出し、その後、生漆をしみ込ませて木地を堅牢にし、さらに砥の粉などを使った下地を重ねて土台を整えます。下地づくりは、丈夫な漆器に仕上げるための重要な工程です。
中塗りと研ぎを重ねる
下地が整うと、中塗りに入ります。ここでは彫刻の溝を埋めないように、タンポや指頭(しとう)で漆をたたき込み、刷毛で整えながら塗り上げます。厚すぎると彫りが埋まり、薄すぎると仕上げの研ぎで木地の角が出てしまうため、塗りの加減が非常に重要です。塗った後は砥石や水ヤスリで研ぎ、塗面を整えます。
上塗りで色を決める
上塗りでは、堆朱なら朱漆、堆黒なら黒漆というように、仕上げの色漆を用います。この段階でも、彫模様を埋めないように注意しながら、タンポや指頭、刷毛を使って丁寧に塗り上げます。ここで作品全体の色味と塗肌の印象が決まります。
艶消し・毛彫り・上すり込み
上塗りの後は、木炭や砥の粉で水研ぎして艶を抑え、村上木彫堆朱らしい落ち着いた表情に整えます。その後、葉脈や羽毛などの細かな表現を加える毛彫りを施し、最後に上すり込み(上質の生漆を器物全体にすり込む)を行い、塗肌を引き締めて完成します。
多くの工程を積み重ねることで、彫りの立体感と漆の深みが両立した村上木彫堆朱が生まれます。
村上木彫堆朱の6つの技法
村上木彫堆朱には、代表的な技法(種類)として堆朱、堆黒、朱溜塗(しゅだめぬり)、色漆塗(いろうるしぬり)、金磨塗(きんまぬり)、三彩彫(さんさいぼり)があります。
それぞれの技法の特徴
堆朱は朱で塗り上げた最も代表的な技法で、使うほどに自然な艶が増していきます。木地に彫刻した後に漆を塗り重ねて仕上げます。面に彫刻を施すため、塗り方がむずかしく、指頭やタンポで塗ります。出来上りは、黒味がかった朱色ですが、年数が経つにつれツヤが出て透明に輝く朱色に変化します。
堆黒は黒漆を用いた落ち着いた表情が特徴です。堆朱と同様に歴史を持つ伝統的な塗り方であり、堆朱塗りが華やかな色彩であるのに対し、堆黒は落ち着いた黒色で仕上げられます。
朱溜塗は堆朱の上にさらに溜漆を重ね、時間とともに飴色へ変化する風合いを楽しむ技法です。堆朱の上塗りの後、つや消しし、木地呂漆を全体にむらなく平に塗り仕上げられ、全体が濃いチョコレート色となります。
色漆塗は数色の色漆による華やかな表現が特徴です。堆黒の中塗りの上に、彫刻部分には木地呂漆に顔料を練り合わせ、上塗りをします。色漆は普通三色から五色程度を使用します。
金磨塗は色漆と金箔を組み合わせた上品な輝きが特徴です。色漆で塗り分けた部分に金箔を押し、その上から同色の彩漆を重ねて研ぎ出すことで、色彩の中に金箔の輝きを表す技法です。
三彩彫は色漆を重ねた上に黒を塗ってから彫り出す繊細な表現が持ち味です。当地では「むき彫り」とも呼ばれており、木地に色漆を塗り重ねた後に彫刻が施される技法です。地色は黒色の漆を使用し、朱、黄、青の三色の漆を用いることから華やかなものとなります。
伝統的工芸品としての指定内容
1 木彫堆朱にあっては、次の技術又は技法によること。
(1)彫刻は、「引下げ彫り」又は「肉合い彫り」によること。
(2)彫刻部分の下地造り、中塗及び上塗は、指の腹又はたんぽを用いて「たたき塗」をした後、「塗り上げ」をすること。この場合において、上塗には、朱合漆に本朱を混ぜ合わせたものを用いること。
(3)仕上げは、艶消しをした後、「すり漆」をすること。
2 木彫堆黒にあっては、次の技術又は技法によること。
(1)彫刻は、「引下げ彫り」又は「肉合い彫り」によること。
(2)彫刻部分の下地造り、中塗及び上塗は、指の腹又はたんぽを用いて「たたき塗」をした後、「塗り上げ」をすること。この場合において、上塗には、精製黒漆を用いること。
(3)仕上げは、艶消しをした後、「すり漆」をすること。
3 木彫朱溜塗にあっては、次の技術又は技法によること。
(1)彫刻は、「引下げ彫り」又は「肉合い彫り」によること。
(2)彫刻部分の下地造り、中塗及び上塗は、指の腹又はたんぽを用いて「たたき塗」をした後、「塗り上げ」をすること。この場合において、上塗には、朱合漆に本朱を混ぜ合わせたもの及びきじろ漆をそれぞれ用い、きじろ漆の「たたき塗」の前には艶消しをすること。
(3)仕上げは、艶消しをした後、「ろいろ塗」によること。
4 木彫色漆塗にあっては、次の技術又は技法によること。
(1)彫刻は、「引下げ彫り」又は「肉合い彫り」によること。
(2)彫刻部分の下地造り、中塗及び上塗は、指の腹又はたんぽを用いて「たたき塗」をした後、「塗り上げ」をすること。この場合において、上塗は、多種の精製彩漆を用いて「塗り分け」をすること。
(3)仕上げは、艶消しをした後、「すり漆」をすること。
5 木彫金磨塗にあっては、次の技術又は技法によること。
(1)彫刻は、「引下げ彫り」又は「肉合い彫り」によること。
(2)彫刻部分の下地造り、中塗及び上塗は、指の腹又はたんぽを用いて「たたき塗」をした後、「塗り上げ」をすること。この場合において、上塗は、多種の精製彩漆を用いて「塗り分け」をすること。
(3)「塗り分け」をした部分は、金箔押しをすること。
(4)金箔押しをした部分は、上塗と同色の精製彩漆を塗付した後、研炭を用いて「研ぎ出し」をすること。
(5)仕上げは、艶消しをした後、「ろいろ塗」によること。
6 三彩彫にあっては、次の技術又は技法によること。
(1)上塗は、中塗及び中塗研ぎをし、赤色、黄色及び青色の精製彩漆を重ねて塗付した後、精製黒漆を塗付すること。
(2)仕上げは、「ろいろ塗」によること。
(3)彫刻は、「むき彫り」によること。
村上木彫堆朱の文様と地紋
村上木彫堆朱の魅力は、漆の色や塗りの技法だけでなく、木地に施される彫刻にもあります。作品には花鳥、山水、牡丹唐草など、自然や風景を題材としたさまざまな文様が彫られ、その周囲や背景には「地紋(じもん)」と呼ばれる細かな文様が施されることがあります。
花鳥・山水・牡丹唐草などの文様
村上木彫堆朱では、木地の表面に下絵を描き、それをもとに彫師が彫刻を施します。
代表的なものには、花や鳥を組み合わせた花鳥、自然の風景を表す山水、牡丹と唐草を組み合わせた牡丹唐草などがあります。器の形や大きさに合わせて文様が構成され、彫りの深さや線の強弱によって、花びらや葉、鳥、岩、水の流れなどが立体的に表現されます。
なかでも牡丹唐草は、村上木彫堆朱を代表する文様の一つとして、盆や茶托、菓子器、箱物などさまざまな作品に用いられています。
背景を埋める細かな「地紋」
作品によっては、主文様の周囲や背景に、細かな連続文様が彫られています。これを「地紋」と呼びます。
地紋自体は村上木彫堆朱に独自のものではなく、日本の工芸や装飾の中で広く用いられてきた意匠です。村上木彫堆朱では、こうした地紋を木地に細かく彫り込み、主文様を引き立てる要素として用います。
村上木彫堆朱によく使われる地紋には、菊、波、麻の葉、網代、雷などがあります。細かな文様を連続して正確に彫ることで、主文様を引き立てるとともに、作品全体に密度やリズムのある表情を与えます。
地紋と「毛彫り」の違い
地紋と、制作工程の最後に行われる「毛彫り」は、どちらも細かな彫刻ですが、役割と施される段階が異なります。
地紋は、主文様の周囲などに施される細かな連続文様で、基本となる木彫の段階で彫られます。
これに対して毛彫りは、漆を塗り重ねて艶消しした後、再び彫師の手に戻り、葉脈や羽毛などの細かな線を加える仕上げの彫刻です。
木地を形づくる大きな彫り、背景を構成する地紋、そして仕上げに加えられる毛彫り。それぞれの彫刻が重なることで、村上木彫堆朱ならではの奥行きのある表現が生まれます。
文様と地紋にも注目して見る
村上木彫堆朱を見るときは、朱や黒などの色、塗りの技法だけでなく、どのような文様が彫られているかにも注目すると、作品の見え方が変わります。
大きく表された花鳥や牡丹唐草、その周囲に刻まれた細かな地紋、さらに葉脈や羽毛を表す毛彫りなど、一つの作品の中にも異なる彫刻表現を見ることができます。
同じ村上木彫堆朱でも、文様の構成や彫り方によって印象は大きく異なります。漆の色艶とともに、木彫そのものを見比べることも、村上木彫堆朱を鑑賞する楽しみの一つです。
村上木彫堆朱の使い方とお手入れ
村上木彫堆朱は鑑賞用にとどまらず、普段使いの中で魅力を味わえる工芸です。花器や盆、菓子器、茶道具、食器のほか、文具やアクセサリーなど、暮らしに取り入れやすい品も見られます。使い続けるうちに艶や風合いが少しずつ変わっていくことも、この工芸ならではの楽しみです。
長く楽しむためには、やさしく扱うことが基本です。彫刻面に入った塵や埃は柔らかい刷毛などで払い、食器類は中性洗剤を使ってお湯洗いします。油のしみや指紋が気になるときは、しっかり絞った綿布で拭くと安心です。直射日光は塗面を傷めるおそれがあり、電子レンジや食器洗浄機の使用も避けた方がよいとされています。
古い品や汚れが気になる品は、状態によって扱い方が変わることもあります。不安がある場合は、漆を扱う職人さんに相談する方法もあります。実際に古い花瓶や小箱をお手入れした記録は、こちらの記事で紹介しています。
関連記事:村上木彫堆朱のお手入れ記録|古い花瓶・小箱のビフォーアフター
村上木彫堆朱を見られる場所
村上市の「村上木彫堆朱会館」では、花瓶、盆、菓子器、茶道具、食器、文具、アクセサリーなど、組合員が制作した多彩な作品を見ることができます。



また、村上木彫堆朱に関する資料や道具類も展示されています。実物の彫りや質感を確かめたい方にとって代表的な見学先の一つです。写真だけでは伝わりにくい彫りの深さや漆の表情を知る入口としても適しています。
そのほか、事前申し込みで箸や急須台の彫刻体験も受け付けています。
写真は急須台の彫刻体験。急須台の木地は、丸く切った朴(ほお)の木。図案は、新潟の県木でもある雪椿です。
最初に職人さんから、雪椿の花芯、花びら、葉の各部位を彫る順番や、裏白(ウラジロ)という特殊な彫刻刀の使い方など説明があります。その後、実際に自分で図案を彫ることができます。
土日祝日の営業日には職人による解説が聞けることもあります。
村上木彫堆朱会館の住所:新潟県村上市松原町3丁目1番17号
参考リンク:村上堆朱事業協同組合公式サイト|組合紹介ページ

よくある質問
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堆朱とは何ですか?
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堆朱(ついしゅ)とは、漆工芸における技法や作品を指す言葉の一つです。もともとは、朱色の漆を厚く塗り重ね、その漆の層を彫って文様を表す彫漆の一種として知られています。日本では、木地に彫刻を施してから朱漆を塗り重ねる工芸も堆朱と呼ばれてきました。
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堆朱の読み方は?
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堆朱は「ついしゅ」と読みます。「堆」は積み重ねること、「朱」は赤い色を表します。朱色の漆を重ねることに由来する言葉です。
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日本国内の堆朱にはどのような種類がありますか?
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大きく見ると、漆を厚く塗り重ねてその層を彫る彫漆系の堆朱と、木地に彫刻を施してから漆を塗り重ねる木彫系の堆朱があります。村上木彫堆朱は木彫系の堆朱にあたります。また、仙台堆朱のように、産地独自の工法を取り入れて発展した例もあります。
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村上木彫堆朱と中国の堆朱は同じですか?
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同じではありません。中国の堆朱は、厚く塗り重ねた漆の層そのものを彫って文様を表す技法として知られています。一方、村上木彫堆朱は、木地に先に彫刻を施し、その上から漆を塗り重ねて仕上げる点に特徴があります。
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村上堆朱という言い方を聞いたことがあるのですが?
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「村上堆朱」は、昭和30年(1955年)の新潟県無形文化財指定と、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」への選択で用いられている名称です。
一方、「村上木彫堆朱」は、昭和51年(1976年)に国の伝統的工芸品として指定された正式な品目名です。
現在も団体名や一般的な呼称として「村上堆朱」が使われています。
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村上木彫堆朱の魅力は何ですか?
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繊細な木彫り、天然漆の落ち着いた質感、使うほどに増していく艶、そして日常使いにも向く丈夫さです。
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村上木彫堆朱はアクセサリーや小物にも使われていますか?
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はい。村上木彫堆朱会館には文具やアクセサリーを含む幅広い品が展示・紹介されており、現代の暮らしに合わせた形でも親しまれています。
まとめ
堆朱は、もともと朱色の漆を塗り重ね、その漆の層を彫って文様を表す彫漆の一種として発展してきた漆工芸です。中国のように漆そのものの層を彫る技法がある一方で、日本ではそれに加え、木地に彫刻を施してから朱漆を塗り重ねる工芸も堆朱と呼ばれてきました。
村上木彫堆朱は、新潟県村上市で受け継がれてきた、木彫りと天然漆の技が生きる伝統的工芸品です。木地に彫刻を施し、その上から漆を重ね、艶消しで仕上げることで、落ち着いた表情と、使うほどに増す艶をあわせ持つ漆器になります。歴史や種類、工程、お手入れを知ってから実物を見ると、村上木彫堆朱の魅力がより深く伝わることと思います。
参考リンク
堆朱・彫漆について
- 東京国立博物館「中国の漆工」
中国で発達した彫漆や、漆を塗り重ねて彫刻する技法について確認できる資料です。 - 文化遺産オンライン「花鳥堆朱盤」
中国で発達した彫漆・堆朱と、日本へ舶載された中国漆器について確認できる資料です。
村上堆朱の歴史資料
- 板垣俊一「翻刻と解説 服部春次編著『村上漆器・鮭産・製茶沿革誌』」[PDF]
1908年(明治41年)の「村上漆器沿革誌」を収録・解説した、村上漆器の歴史に関する重要資料です。 - 『村上郷土史』|国立国会図書館デジタルコレクション
1931年(昭和6年)刊行の郷土史で、村上漆器の沿革についても記録されています。 - 佐藤榮喜「村上町の堆朱堆黒の調査」『産業調査報告書 第2輯』|国立国会図書館 次世代デジタルライブラリー
1935年(昭和10年)当時の村上堆朱・堆黒の歴史、制作、産業の状況などを伝える資料です。
村上地域と漆の古い関わり
- 『延喜式』巻24「主計上」|国立国会図書館サーチ
『延喜式』巻24「主計上」を引用し、越後国の中男作物として「漆」が記されていることを確認できます。 - 文化庁「新潟県元屋敷遺跡出土品」|文化遺産オンライン
村上市三面の元屋敷遺跡から出土した縄文時代の漆塗木製品などを確認できる資料です。 - 胎内市「胎内市の文化財」[PDF]
分谷地A遺跡から出土した縄文時代の漆製品について確認できる資料です。 - 村上市「漆山神社」
漆山神社と、村上地域における漆との古い関わりについて紹介する村上市の資料です。
文化財・伝統的工芸品としての村上堆朱
- 村上市『歴史的風致維持向上計画(第2期)』[PDF]
村上堆朱の歴史、文化財としての評価、伝統的工芸品指定、技法などを総合的に確認できる公的資料です。サイズが大きいのでご注意ください(25.8 MB)。 - 昭和30年2月9日 新潟県教育委員会告示第7号
1955年の新潟県の無形文化財指定について確認できる資料です。 - 国指定文化財等データベース「村上堆朱」
1955年(昭和30年)の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」への選択や、村上堆朱の技法・沿革を確認できます。 - 伝統的工芸品産業振興協会「村上木彫堆朱 指定内容」[PDF]
村上木彫堆朱の伝統的工芸品としての技術・技法、原材料などの指定内容を確認できる資料です。
現在の産地・伝統的工芸品制度
- 村上堆朱事業協同組合
村上木彫堆朱の技法、制作工程、製品や現在の産地の取り組みなどを紹介しています。 - 伝統的工芸品産業振興協会「伝統的工芸品について」
国の伝統的工芸品の指定制度や、伝統証紙などについて確認できます。 - 伝統的工芸品産業振興協会「法律(伝産法)」
「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」と、伝統的工芸品制度の法的な位置づけを確認できます。
初版公開:2025-09-16
構成変更:2026-03-07
「堆朱とは」を追加:2026-06-29
「村上木彫堆朱の歴史と公的指定」、「村上木彫堆朱の6つの技法」を増補:2026-08-25
「村上木彫堆朱とは」を増補、参考リンクを整理:2026-08-26
「村上木彫堆朱の文様と地紋」を追加:2026-08-26
英語ページを作成:2026-08-31
この記事が参考になった方へ
この記事を書いた、み喜森(Mikimori)店主です。
新潟県村上市の伝統的工芸品「村上木彫堆朱」をはじめ、天然漆・天然木の工芸品をセレクトしてご紹介しています。
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